今回は、GPT-3という自然言語処理モデル関連のニュースです。
以前からAI関連でニュースを調べているときに何度も名前が挙がっていたので気になっていました。正直どういうものなのかは専門知識が無いので「言語関連のすごい技術」のような認識でしかないのですが…。
ノーコードツールをいくつか触ってきて、自分で全部やるほうが微調整が効くというのはもちろんですが、そういった細かいことを気にしなくてもよい場合でのプログラミングにかかるコストがかなり少なくて済むという利点を感じていました。
そのコストというのには知識や経験も含まれます。
私は社会人になって初めてプログラミングをするようになりましたが、そこで苦戦したのがいわゆる「プログラムは書いたとおりにしか動かない」でした。
いや当然のことなのですが、自分のやりたいこと→プログラミング言語に直す この作業に慣れるのに時間がかかりました。
「覚えるのが難しい」というより、「どう直すものなのかわからない」という感覚です。
なので自分か書いた文章の通りのコードを書いてくれるというのはすごく魅力的に感じました。
記事ではIT人材不足解消になるかというところでもありましたが、AIによって仕事を代替させるというより、ちょっとしたことでも「出来るひと」にしか任せられなかったのが、「出来るひと」を増やしていける という社会になっていくのだと思いました。
だからこそ技術者は頑張っていかないといけないともいえるでしょうけど…。
記事にある、GPT-3で作成されたブログの話はこちらの記事のほうが詳しく載っていました。
きれいな言語は作れるが論理的で合理的なものは難しい というのが面白いと思いました。
「きれいな言語」と「論理的・合理的」両立しない概念であるという点が特に。
このブログは結構評判が良かったそうですが、生産と自己啓発というカテゴリ
(これって本当に厳密な論理性必要ないんでしょうか?「生き方」のようなものだからでしょうか)とはいえ、不思議です。テーマからして多少論理が跳んでる方が超然的な魅力があるんでしょうか。
あと、以前実在しない人の写真を生成するサイトで遊んだことを思い出しました。
かなりきれいな画像が作れるのですが、いくつか一部おかしくなっている画像も生成されました。
長髪の一部が消えている・髪の生え際に歪みがある・首と背景の境界線と、首と服の襟の境界線が区別されていない などなど…
ぱっと見おかしくはないが、よく見ると明らかにおかしいという点で共通しているなと思います。
今のところは創作よりも大量の文章データの分析から回答を考える、のような方向で使われているようですね。
なんとなく「書く能力」と「読む能力」の違いを感じました。
また、言葉をもとに画像を生成するAIについてはこちらの記事があります
「日本料理」で寿司・煮物・ラーメン・お膳あたりがぼんやりと生成されているのが面白いですよ。
これはちょっと前の記事になりますが、GPT-3での「創作」について。
前から気になっていたのですが、AIが作成した作品の著作権ってどうなるんでしょうか?
作成時になにかしらの方向性を与えると思うので、やっぱりAIを使った人でしょうか?
クリエイティブコモンズ的に利用するのも面白そうです。
記事内には機械生成作品部門を設ける未来の話が出ていますが、そうなると評価基準はどうなるのかも気になりますね。
また、記事内でGPT-3自身には倫理が無いとありました。
人は倫理的なことも倫理的でないことも考えます。そして発信することも倫理的だったりそうでなかったりします。
無意識のものを除き、倫理とは判断だと私は考えているので、AIが非倫理的なものを生成したとしても問題はそこではなく、それを発表・発信するか否かが問題になると思います。
つまり「思うのは自由だけど言動に表すかは別」のようなもので、そう考えると著作権はともかく責任は発表の判断をした者になりますね。
その判断すらAIができるようになるかもしれませんけど、倫理道徳は更新が目まぐるしくて大変そうです。